協力
いい人生を生きたい。
そのためには、他者の存在が欠かせない。
それは、近しい人達とともに、いい人生を生きたいからだけではなく、私個人がいい人生を生きるためにも、近しい人たちとの協力が必須だからだ。
では、どういう人達と、どういう人間関係を持つことが望ましいのだろうか。
三人寄れば文殊の知恵とあるように、人はあつまればあつまるほど、よりよいものが生み出せるといわれる。
ただ、それは、各々が持てるアイデアをすべてシェアし、軽視・否定されることがない場合に限られるだろう。それでこそ、個人が持てるものの最小公倍数が実現できる。
もし、少数意見や新しい考え方が聴き入れられず、一般的な常識しか共有されない場合は、個人が持てるものの最大公約数しか実現できない。衆愚政治や全体主義がそのいい例だろう。
上の場合を協力、下の場合を同調とよぼう。程度の差こそはあれ、集団で一緒に何かをする場合は、必ず協力も同調も生じる。ここで、協力を最大限に、同調を最小限に抑えることができれば、恩恵を最大化することができるだろう。では、どうすれば。
協力が最大限行われるためにはまず、アイデアをすべて共有するための時間が必要だ。人数が多いとこれは不可能である。
もしかりに時間が十分にあっても、アイデアを言い出せない空気であったり、違うアイデアに耳を傾ける態度が欠けていれば、アイデアは共有されない。
これを防ぐには、批判はすれど否定せず、互いを尊重しあう人間関係が不可欠である。
最後に、かりにアイデアが全部共有されても、まとめることができなければ意味がない。バラバラで、一見対立しあうアイデアを、止揚して総合できる人がいなければならない。
少人数でじっくり話し合う場、互いに尊重しあう関係、綜合できる知性の三要素がそろって、初めて協力が実を結ぶのである。
人数が多く、少数意見が尊重されず、知性の影響力が弱い集団、すなわち「大衆」では、協力ではなく同調が強くなることは、無理もないのだ。
以上を踏まえると、最初の問いへの答えは、少人数の知的な人達と、率直に意見を交換できる人間関係を築くのが最善ということになるだろう。
関係はプライベートであるに越したことはない。
ただし、仕事や政治では、そうはいかない。赤の他人と一緒に仕事をせざるをえないし、見知らぬ大衆とともに政治決定をしないといけない。つまり、パブリックな関係を持たざるを得ない。
このような公共の場でももちろん、協力ができるための努力はできればしたほうがいいのだろうが、できる協力は限られている。ビジネスはともかく、政治に至っては、個人よりも劣った集団決定がなされることが、ほとんどである。
確かに、公共の場に積極的に参画することが、有意義な場合もある。ただし、そこでまかりとおる言説に期待したり、真に受けたりすることは厳禁である。決して、自分が他人よりも賢いわけではないのではない、個人が集団よりも賢いのである。
人間は社会的動物と言われるが、人間が社会性を自由に発揮出来るのは、プライベートな場までではないか。百歩譲っても、古代ギリシャのポリスが限界だったのではないだろうか。
公共からは距離を置き、エピクロスの庭園に隠居するというのが、かえって最も人間的な生き方なのかもしれない。
まとめ
・いい人生には、他者との協力が不可欠。
・協力は個人の最小公倍数なのに対し、同調は個人の最大公約数。
・同調に陥らずに協力を実現するためには、十分な時間、互いの尊重、綜合する知性が必要。
・存分に協力出来るのはプライベートまでであり、公共の協力は限られている。
・公共のレベルには期待せず、真に受けないことが大事。
・エピクロスの庭園に身を置くべし。